新人の頃、どうしても顔を合わせるのが苦痛でたまらない先輩がいました。私の行動一つひとつに対して鋭い指摘を飛ばし、申し送りの場で厳しい質問を浴びせてくるその先輩は、当時の私にとって恐怖の対象でした。なぜ自分だけがこんなに責められなければならないのか、もっとやさしく教えてくれればいいのにと、帰り道に何度も悔し涙を流したことを覚えています。その過去の記憶は、長い間、私の心の中でチクチクと痛むトゲのようになっていました。
しかし月日が流れ、自分も後輩を指導する立場になってはじめて、当時の先輩の言葉が染みるようになりました。厳しい指摘のすべては、私の人格否定ではなく、患者さんの異変を見逃さないための安全網だったのだと気付いたからです。中途半端な知識や甘い確認が、どれほど大きなリスクになるのか、その重みがわかる自分になってはじめて、あの厳しさの意味を痛感したのです。あの先輩は私が致命的なミス、そして後悔をしないように、自らが悪役となって厳しく接してくれていたのです。しかし、当時はその裏側にあるやさしさに気付く余裕さえありませんでした。責任を負う覚悟を持って叱ってくれる人がいることが、どれほどありがたいことだったのか、今の私にはよくわかります。
現在、あの厳しさに耐えた時期が私を一人前の看護師に育ててくれたのだと感じています。その先輩に対しては、深い感謝の気持ちでいっぱいです。本当に冷淡な人は、相手が間違っていても何も言わずに無関心に見捨てるものです。徹底的に向き合い続け、声をかけ続けてくれた先輩の熱量を、今度は私が後輩へとつないでいけたらと思っています。